お愛想笑いを 122

イメージ 1


雑感

確かに
お愛想笑いを

怒られたときも
にたにた



参照引用

これでおしまい  佐藤愛子


1963年、アメリカの大統領ケネディが暗殺され、
その葬儀に世界各国の
首脳がワシントンを訪れた。

日本からは当時の首相池田勇人が列席したのだが、

飛行機から降り立って出迎えの人々に向って歩みを進める池田首相が、

満面の
二コニコ顔だったというのでアメリカの人々がびっくりした、

というニュースが新聞を賑わせた。

祝い事なら二コニコ顔で、
悲しみ事は神妙あるいは沈痛に、
ということは世界の常識である。



しかし池田首相は二コニコと愛想笑いをしたのだ。

日本人の微笑は、欧米人の心を和ませただけではない。
いや、多くの場合、
それは不可解で無礼な笑いとして彼らをいらだたせた」

という氏家氏の記述通りのことが起ったのだ。

ラフカディオーハーンがいう

「日本人の微笑の秘密を解く鍵は日本人の礼儀正しさにある」という考え方が
この場合は当っているのかもしれない。

我が国には礼儀を重んじる長い歴史が
ある。
高価な品物を贈るのに「つまらないものですが」といい、
腕に上りをか
けたご馳走を「粗末な手料理ですが」とか
「おいしくはございませんが」という。

いわれた西洋人にしてみれば、「うまくないものをなぜ食わせる。
と思うだろうが、日本人は誰もそう思わない。

それは相手に負担をかけないための
礼儀と謙遜からだと理解しているからだ。


ウヌこれはとても食えたものでない

と思ったとしても

まあおいしゅうございわすわ


あるいは、
 「うん、これはうまい!・」

などと(テレビの料理レポーターよろしく)
のけ反ってみせたりもする。

そういう芸当
つまり心にないことを口にすることがこの国の「教養」なのだ。



池田首相はこぼれんばかりの二コニコ顔で礼儀を尽したのである。
少くとも
自身はそのつもりだったろう。

その二コニコ顔は多分「出迎えの高官」たちへ
の礼儀から出たものであろう。

もしかしたら敗戦国の首相という劣等感を持っ
戦勝国大統領の葬儀に赴くという責務の重さに緊張して、

むやみやたらに二コニコしてしまったのかもしれない。
首相といえども人の子である。

アガる時
もある。

「貧乏人は麦を食えばいい!」

といい放って世間を怒らせた人にしてそうなのか

こういう二重性というか、
ひとりよがりというか、

複雑な感性、習慣はすべてに端的な西洋人にわか
るはずがないのである。

ご訪問ありがとうございました。