物品は廃物となっても、735

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雑感
               


今日も良き日に




参照引用



三浦綾子366のことば   森下辰衛


人間は自分の舌で自分を不幸にもし、
人をも不幸にしている。 
またその舌で、自分を幸福にし、
人を幸福にもする。 
             北国日記




物品は廃物となっても、
人間は
決して廃物とはならないのだ。
わたしはそのことを、
廃物同様の自分の体験から知らされたのだ。……
しかもその廃物同様の人間が、
輝くばかりの喜びに生きているとしたら、
どんなに多くの人を励まし、
勇気づけることであろう。
人を励まし、希望と勇気を与えること、
これこそ本当の人間の生き方ではないだろうか。
神は人間を廃品とはし給わない。
              光あるうちに




神が人間とこの世をおつくりになった以上、
この世はそもそも宗教的な世界なんですね、
……それこそ
でたらめをやっている人間も、
そのままで宗教的な存在だとー言えるのではないでしょうか。
               (『三浦綾子対話集2』)




私たち人間がもし世の中を創ったとしたら、
きっと丈夫な者ばかり、頭のよい者ばかりを造って、
その結果、
ぎすぎすとした、うるおいのない、優しさのない、
もっと殺伐なこの世を創ったかも知れません。
「役立つものを求める」のはよいとして、
その余り、
人間はしばしば利欲に目がくらみ、
人間の持つべき最も大切な愛を忘れます。
                      藍色の便箋,




きょう一日は、
あってもなくてもいいという一日ではないのです。
もしも、
私たちの命が明日終わるものだったら、
きょうという一日がどんなに貴重かわからない。
          (愛すること生きること)



どんなに裕福な人でも、どんなに頭のよい人でも、
どんなに幸せな人でも必ず死ぬ。
その死は、
人間にとって、それこそ、最後の「義しい務」なのだ。
八十になり九十になって、
この世に充分功績を残したからといって
「もう何もすることもない」という
人はいない。
もうー一つ「死ぬ」という、
栄光ある仕事が待っている。 
         北国日記




わたしたちが本当に愛する人にめぐり会うのは、
いていは人生の初めではない。
自分がおとなになり、
自分の生き方が定まった時、
その生き方にふさわしい相手が。
ちゃんと現れてくるものだ。
                           あさっての風



無関心ということは、何と恐ろしいことだろう。
い、目と鼻の先の出来事であっても、
関心を持たぬ限り、
それは遠い世界の出来事である。 
この無関心はわたしの持つ大きな罪悪の一つのように思われる。                              石ころのうた





「ほうたいを巻いてやれないのなら、
他人の傷にふれてはならない」 
                 続氷点




正しい言葉は人の耳に痛い。
親にでも、きょうだいにでも。
または友人、職場の上司同僚にでも、
ちょっと注意されただけでカッとなり、
憎くなるのが人間である。   
            (旧約聖書入門)




どんな小さな会話だって
やはりその人間の人格に咲いた花のようなものだ。
その一言葉のひとつひとつは、
その人柄を表しているはずで、
だからこそ、
げない会話の中で、
わたしたちはお互いのよさや、
新しさや、また、欠点も見いだしていけるわけだ。
            愛すること信ずること



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