きょう一日は、あってもなくてもいいという一日では 815



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雑感



今日という日は
戻ってこない



参照引用


三浦綾子366のことば  森下辰衛




今の君に僕が贈るのは,
(われわれ人間はすべて,弱さと過ちからつくられている,
われわれの愚かさを許しあおう。これが自然の第一歩の掟である)
という言葉です,        
 (帰り来ぬ風)



わたしは若いときに、こんなことを牧師さんに言われたことを覚えているよ。
右か左か判断に迷うときは,
自分の損になるほうを選びなさい。
それ以来なるべくそのように生きてきたつもりだが、あとから振り返って
考えると,それがどうやら神の御心にかなった生き方のようだったな。
 [病めるときも]




他人には完全を求め,自分の、現状を許すということは、
つまりは、自分自身に自分の欠点が見えないからだ。
自分をよしとしているからだ。
 [北国日記]



結果的にはどうであっても,わたしたちはそのなし得たことを
感謝すべきではないでしょうか.
人に喜ばれると思ってしたことが,裏目に出るのが,
とかく人生なのですから,      
 [小さな郵便車]



同じだよ竜太。自分がこんなに弱い人間であったかと、
何度自分に愛想が尽きたことか、しかしね竜太、
自分にとって最も大事なこの自分を、
自分が投げだしたら、いったい誰が拾ってくれるんた。 
自分を人間らしくあらしめるのは、この自分しかないんだよ.
 [ 
銃口] 
                                    
                              
人生というものはすべて、待つ間に熟していくのだ
 「果て遠き丘」



人間は自分の舌で自分を不幸にもし、人をも不幸にしている。
またその舌で、自分を幸福にし、人を幸福にもする。  『北国日記』


                                       
                         
物品は廃物となっても、人間は決して廃物とはならないのだ。
わたしはそのことを、廃物同様の自分の体験から知らされたのだよ
‥‥‥しかもその〔廃物同様の〕人間が、
輝くばかりの喜びに生きているとしたら、
どんなに多くの人を励まし、勇気づけることであろう。
人を励まし、希望と勇気を与えること、
これこそ本当の人間の生き方ではないだろうか。
神は人間を廃品とはし給わない。  [光あるうちに]

                          
神が人間とこの世をおつくりになった以上、
この世はそもそも宗教的な世界なんですね、
……それこそでたらめをやっている人間も、そのままで宗教的な
存在だといえるのではないでしょうか。
三浦綾子対話』


                  
私たち人間がもし世の中を創ったとしたら、
きっと丈夫な者ばかり、頭のよい者ばかりを造って、
その結果、ぎすぎすとした、
うるおいのない、優しさのない、
もっと殺伐なこの世を創ったかも知れません。
「役立つものを求める」のはよいとして、
その余り、人間はしばしば利欲に目がくらみ、
人間の持つべき最も大切な愛を忘れます。
   (『藍色の便箋』)



きょう一日は、あってもなくてもいいという一日ではないのです。
もしも、私たちの命が明日終わるものだったら、
きょうという一日がどんなに貴重かわからない。 
   『愛すること生きること』




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