自戒 971

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雑感




毎日
自分の話す言葉には
最大の配慮を
気をつけねば
自戒







参照引用



三浦綾子366のことば     森下辰衛




物品は廃物となっても、人間は決して廃物とはならないのだ。
わたしはそのことを、廃物同様の自分の体験から知らされたのだよ
‥‥‥しかもその〔廃物同様の〕人間が、
輝くばかりの喜びに生きているとしたら、
どんなに多くの人を励まし、勇気づけることであろう。
人を励まし、希望と勇気を与えること、
これこそ本当の人間の生き方ではないだろうか。
神は人間を廃品とはし給わない。
                 光あるうちに

神が人間とこの世をおつくりになった以上、
この世はそもそも宗教的な世界なんですね、
……それこそでたらめをやっている人間も、そのままで宗教的な
存在だといえるのではないでしょうか。
                  『三浦綾子対話』


私たち人間がもし世の中を創ったとしたら、
きっと丈夫な者ばかり、頭のよい者ばかりを造って、
その結果、ぎすぎすとした、
うるおいのない、優しさのない、
もっと殺伐なこの世を創ったかも知れません。
「役立つものを求める」のはよいとして、
その余り、人間はしばしば利欲に目がくらみ、
人間の持つべき最も大切な愛を忘れます。
                      (『藍色の便箋』)


きょう一日は、あってもなくてもいいという一日ではないのです。
もしも、私たちの命が明日終わるものだったら、
きょうという一日がどんなに貴重かわからない。 
                『愛すること生きること』


自分の思いを相手に伝えるということも大切です。
直接慰めの言葉をかけるということも、非常に重大
なことです。でも、人には様々な生き方があって、
思いが深ければ深いほど、軽々しく動かないという
人もいるのです。          (『藍色の便箋』)

時計を盗られたとか、靴を盜まれたとか、
少しばかりの金をすられたとかのために、
心を深く傷つけられるということは、それほど多くはない。
生活を根底から覆されるほどの被害でない限り、
いつかは忘れ去っていくのではないか。
だが、人の不機嫌にふりまわされて傷ついた魂は、
そう簡単には修復しない、
やはり「不機嫌は泥棒より罪が深い」と言えるのではなかろうか。
                                                             明日のあなたへ 



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