自分の目の中の丸太に 624

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参照引用


心を癒やす言葉の花束  アルフォンス・デーケン


あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
なぜ気づかないのか。

新約聖書「マタイによる福音書」七章三節



目の中の丸太とは、なんとも愉快なたとえではありませんか?
イエズスは、意表をつくたとえ話や、ユーモアに満ちた表現を使って聴衆の興味を引き、自分のメッセージを巧みに伝えました。



自分の目の中に丸太ん棒がコロンと転がっていても気づかない。
この言葉は、私たちの物事に対する視野の狭さや己を省みない鈍感さを、ユーモラスにたとえています。

思わず笑いに誘われた次の瞬間、ふっと我に返り、はっとした人も多いのではないでしょうか。

この言葉が含まれるマタイによる福音書七章の冒頭は、「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」で始まります。

とかく私たちは、自分の生き方を基準にして、他人のことにあれこれ口出ししがちですが、自分のことを棚上げして他者を裁けば、いずれ自分も同じように裁かれるのです。


反ナチズムの思想家で作家のテオドール・ヘッカーは、
「精神的に盲目な人は、見るべきものが見えないだけでなく、自分が盲目であることさえ気づかない」と言っています。



ナチス・ドイツの時代には、あまりにも多くの人々が良心に従って自分で判断することを怠り、ヒトラーイデオロギーを受け取ってしまったために、史上最悪の悲劇を招いてしまいました。


戦後の裁判では、「アウシュビッツで大勢の人を殺すつもりはなかった。ただ命令に従っただけだ」と

自己弁護した人がたくさんいましたが、「命令されたから」「みんながやっ
ているから」「法律だから」とは、責任ある大人の言葉ではないですね。
そんな理由で、自分の行動を決定してはいけないのです。


私は父から、「自分の頭で考え、自分の良心に従って生きろ」と教えられました。

この言葉に従い、ナチスのエリート養成学校への推薦を断ったことで、小学校では級友から疎外されることになりましたが、
精神的な盲目に陥ることを避けることができました。


のちに、ドイツの戦況が不利になってきたとき、ナチスは子どもにも武器をとらせ、連合軍の戦車に向かわせました。


少年兵のほとんどが、戦車の機関銃で撃ち殺されたということです。

もし、私かナチスのエリート養成学校へ進んでいたとしたら、私もその少年兵の一人として命を落としていたかもしれません。

他人を裁く前に、自分が精神的な盲目に陥っていないかを見つめ直し、勇気を持って行動することは、震災後の復興に向けて重要な鍵になるのではないでしょうか。



神よ、私に変えられないことは、そのまま受け入れる平静さと、
変えられることは、すぐにそれを行う勇気と、
そして、それらを見分けるための知恵を、どうぞ、私にお与えください。
                ラインホールド・ニーバー



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