悔恨こそ自己再建を 626

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参照引用


心を癒やす言葉の花束  アルフォンス・デーケン



悔恨こそ自己再建を実現する偉大な力である
                                                マックス・シェーラー


中高年になると、多くの人々は、今まで歩んできた道を振り返り、しきりに自分に対する判定を下すようになります。

自分勝手な言動、隣人に対しての配慮の欠落、
困っている人に十分に尽くさなかったことなど、

過去の人生におけるさまざまな失敗や罪が思い返されて、その重圧に苛まれることがしばしばあるようです。



「後悔先に立たず」「覆水盆に返らず」などのことわざに象徴されるように、後悔することはネガティブなことだというのが、社会通念になっています。

確かに、過ちを犯したことも、その行為から生じた結果も、変更することは不可能です。



しかし、ドイツの哲学者マックス・シェーラーは、悔恨によって、過去の失敗や罪に、新しい心義を与えることができると言っています。

マッタス・シェーラーは、二十世紀でもっとも創造的な倫理学者です。
私は、彼の著作に出会って、哲学の道へ進むことを決めました。

彼の倫理学は、抽象的な机上の空論ではなく、非常に実質的な考え方で、多くの分野においても指針になり得ると考えています。


彼の優れた論文の一つ「悔恨と再生」では、過去の過ちをいかに解釈
すべきか、示唆に富んだ考察がなされています。

何年何月にこういうことがあったという客観的な事実はえられないものの、
積極的に相手に赦しを請い、また自分も相手を赦し、和解することで、  
有意義なものにつくり替えることができるというのです。


過去の失敗から自己を再生していくために、まず必要なのは、過去の失敗を謙虚に認めることです。

次に、相手に与えたダメージをできる限り緩和させる努力が必要です。
相手に赦しを願った上で、
精一杯思いやりと愛の道を歩むのです。

信仰を持っている人は、神に赦しを請うことで、その精神的な重荷から解放されることができます。

過ちのない。一生を送った人間など1人もいません。

もちろん過ちは避けるべきですが、 
失敗を犯してしまったあと、「悔恨と再生」があるということに着目したところが、シェーラーの素晴らしさです。

蓋をしておいた罪過をじっと見つめ、自分の過去を、現在の生活へつなげていきたいものです。


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