自分の嫌なことを、注意されたとき 663

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雑感


友人、知人、上司、同僚、部下、に

何かの件に関して、事に関して

自分の嫌なことを、注意されたとき、言われたとき、
どう、
対応するかによって


今後が決まる。



参照引用


三浦綾子366のことば   森下辰衛



人間は、まことに不完全なものである。自分はこれでよしと思って生きていても、知らず知らずのうちに人を傷つけているのだ。
短所のみならず、長所によっても人を傷つけてしまうのだ。
                  (生きること思うこと)


「人間とは何か」を知ることが、相手を知り 自分を知ることになると思う。                       (孤独のとなり)


どんな人間だって、悪いところばかりがあるわけではない。、
人に悪口ばかり言われるような人間にだって、必ずよいところがあるはずだ。
そして、そのよいところに目を注いでいると、ふしぎにその人はよくなっていくものだ。、 
                      (愛すること信ずること)




「不思議なもんだな言葉って。
言葉というものはなあ、綾子、話すほうが何とか伝えたいと思えば、必ず伝わる。
聞くほうも、何とかして相手の言葉をわかろうとすれば、不思議にわかる。
言葉はわからなくてもわかるものだ」 
               (『私の赤い手帖から』)



夫婦にせよ、親子にせよ、兄弟にせよ。友人にせよ、
先生と生徒にせよ、労使関係にせよ、その人たちの本当の顔が現れるのは、ほめられた時ではなく、ったひとこと注意をされた時ではないかと思います。.
ふだん、どんなに仲のよい同僚に見えても、夫婦に見えても、一旦その人に注意してみると、相手の自分に対する気持がわかります。
心から尊敬し、深く愛しているなら、その受けた注意に、素直に耳を傾けることが出来るのではないでしょうか。
                                (藍色の便箋)



辛い目に会わせてくれる人が、私たちを人間にしてくれるものなのですよ。
いい人だけが、私たちを育てくれるものではないのですよ。
                             (愛の鬼才)



「だけどな、俺、やってみる。難儀なことだからやってみる。
楽なことなら、誰でもやるさ。
しかし難儀なことは、やる気のある者でなければやれないんだ」                             (続泥流地帯)



なおざりの言葉が文化を滅ぼすって、川谷牧師が言われたことがありますよ。
その人に来てほしくもないのに、「そのうちいらっしゃいね」とか、
行こうとも思ってないの「行くわね」とか、
そういう言葉の積み重ねからは何も生まれない。
だから、よく考えて真実こめた言葉というのは、ほんとの意味の文化ですよね。
               (銀色のあしあと) 




「人を責める時、相手が申し開きのできないような理攻めは、いけない。必ず相手に逃げ道をつくっておいてやるものだ」
                「生きること、思うこと」



挨拶とは「心をひらいて迫ること」だそうだ。
迫るとは近づくことだ.
心をひらいて人に近づくのは、人間としての基本的なあり方である。
                 (孤独のとなり)



北海道に泊原発が始動した時の、テレビニュースの一シーンを、
私は忘れることができない。
その地域のある婦人は言った。
孫子に対して、取り返しのつかないことをしてしまったのてはないか」
これらが私の杞憂であれば.よいのだが。
               (小さな一歩から)



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