死ぬこともできないのかも知れない 665

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参照引用


三浦綾子366のことば   森下辰衛


本当の意味で生きた人の死だけが、
本当の死なのではないだろうか、
生きているか、死んでいるか、わからない生き方では、
本当に死ぬこともできないのかも知れない            
                    光あるうちに



日頃自分が恥ずかしいと思っていることが、
本当に恥ずかしいことなのか、
恥ずかしいと思うこと自体が恥ずかしいことなのか、
よく見極めて生きたいものだ、
             ( ナナカマドの街から)


           
りは神に捧げられるもの,清められた言葉でなければなりません。
神への願いであり、
神への問いかけであり
その問いかけに対する答えを聴き取ろうとすることでもありますな。
                         夕あり朝あり




自分のことは、自分が1番知っているという人 がよくあるが、
わたしはあまり信じない、
自分よりもむしろ、傍らの人のほうが、
わたしたちの姿を適確に見ていることが多いからだ、
                  夢幾夜
                      



人生はくり返しがきかないのだ。
かけがえのない命を、
生きるにふさわしい道を自分が歩んでいるかどうか、
考えてみてほしい。
いま歩いている道の
末に、何が待っているかを、考えてみてほしい。
                        あさっての風



人間としての、一つの義務として
互いに愛し合わねばならない」のです/
愛するとは、単なる「好き」とはちがいます。
相手を生かし、相手を育てる意志なのです。 
       小さな郵便車




「北森上等兵、おれはね、恥ということは、捕虜になることなどではないと思う。
人間として自分に不誠実なこと、人に不誠実なこと、自分を裏切ること、人を裏切ること、強欲であること、特に自分を何か偉い者のように思うこと、まあそんなことぐらいかな」  
                       銃口                 



神よ/
人生は/一人 林の中を./歩み行くような/ものかも 知れません/
自分の前には/何の道もなく/また 自分の後を/従いてくる者も・ありません/
でも、どんな辛い道でも/主が手を引いて下さるなら/
私たちは 安んじて・/生きて行けるのでは/ないでしょうか/
何十年間かの/人生の中で/人は幾度 大きな/
重荷を肩に負い/おろし また負って/来たことでしょうか/
でも 主が共に在すならば/ああ 本当に在すならば/
それは 何と幸いな/
人生であることでしょう
                  (祈りの風景)


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