その小さな行為が 774
雑感
ゆとり
優しさ
参照引用
目に見えないけれど大切なもの 渡辺和子
共に生きる心
授業開始前、教室の外に立っていると、
学生たちが外部から建物の中に入ってくるのが見える。
そのほとんどが、ドアの取っ手を離す前に後続の人がいるかど
うかを確かめて、
ドアをそのまま押さえていたり、離していたりする。
その小さな行為が、それまでの何の変哲もなく見えていた学生たちの顔を一瞬、美しいものに変える。
思いやりとは、魅力と無関係でない。
文明の所産は、数え切れないほど多くの便利さを私たちに与えてくれた。
たとえていえば、自動ドアがそうである。
両手にいっぱい手荷物を下げていても、
その前に立ちさえすれば自動的に開き、
しかも自分で閉める必要のないものだ。
その便利さをありがたく思う人も多いことだろう。
しかしながら、他方で、自動ドアが人間から奪ったたものがあることを忘れてはなるまい。
「自分の後ろに続く人を思いやる心」である。
この世の中は自分だけで成り立っているのではないという、
至極簡単明瞭な事実、
自分以外に他人がいて、その人もまた、自分と同じく優しさを求めて生きているという事実、
この真に基本的なことが、ドアの開閉の度に思い出されるのと、出されないのとで、いつしか人の心は大きく変わっていくに違いない。
いや、すでに変わってしまっている。
それは自分中心の心を生み、他人を思いやる優しさを減少させ、
ひいては、その優しさが生み出す魅力を持つ人の数を減らしつつあるといっていい。
一昔前に比べてたしかに日本人は「きれい」になることを習得した。
ファッション誌から抜け出したような男女の姿も珍しくなくなったし、
化粧の仕方にしても、アクセサリーの使い方にしても上手になっている。
しかし、きれいな人が増えるのに反比例して、
真に人間的な魅力の持ち主が、減ってきているのは、
やはり、他人を思いやる心、優しさが人の心から失われてきているからではないだろうか。
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