「人生相談」 93

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雑感

人生相談の回答

その人その人によって

確かに生きるということは


参照引用

人間の煩悩 佐藤愛子


読者のためにもなる「人生相談」


このところ読売新聞朝刊の「人生案内」を私は愛読している。


昨日も高校卒業後、専門学校に入ったが

1年足らずで辞めてアルバイトを転々として
きたという女性の相談が載っていた。       
仕事に就く時は長く勤めようと思うが
すぐに疲れ、

職場の人に悪口をいわれたりするともういやになってしまう。

パソコン教室、カルチャー教室などに通ったが、
どっちも資格を取れずに終った。

仕事だけでなく趣味や人間関係にも飽きっぽく、

いつもその場限りの楽しいことで気を紛らせている。

そんな私はやっぱり甘ったれた
我儘娘なのでしょうか、

という相談者は29歳の独身女性である。

こういう相談にはどう答えればいいのか、私には何の答えも浮かばない。

いうとしたら、

しっかりせえ、あんた、年ナンボや!・」
と怒鳴るだけである。

さて回答やいかにと目を転じると、

数学者の藤原正彦先生の回答は、

「その通り、あなたは甘ったれの我儘者なのです」
 のっけからそういい切っているのが嬉しい。

「何かをしたいと思って始めても、ちょっといやなことや苦しいことがあるとすぐにや
めてしまうというのではどうしようもありません。

恐らく親にいやな手伝いを強制され
たり、何かをしたいという自由を侵害されたりすることなど殆どないまま甘やかされて

育ったため、忍耐出来ない人間になってしまったのでしょう」
(全く同感。その通り)

「健康でありながら学校を出て何年たっても経済的自立をせず親がかりでいるという若
者が最近よく目につきます。

繁栄の泡のようなものと思いますが、
親や健康を失ったり
真の不況におそわれれば生き延びることは出来ません」(その通りその通り、同感同感)

「歯を食いしばることなしに生きて行くことは出来ないということを胸にたたき込まな
い限り、今後の望みはありません」(下線私佐藤愛子

何という胸のすく一言。
バンザイ、ザマミロ、わかったか、と私の溜飲は下る。

しかし、
私の溜飲は下るが当然のことながら相談者の溜飲は下るわけがない。

相談を受けた者は、
いいたいことをいってもいいっ放しではいけないのである。

そのむつかしいところを藤原先生はこんなふうに
締め括られた。

「神様はすこぶる意地悪で、世の中を隅々までそのように辛いものにこしらえてしまったのです」

いやあ、実にあったかい。おとなだ。
私は脱帽、平伏という心境になる。

 ‐-‐-‐
こんな厳しいことをいうのも神様が世の中を辛いものにお造りになったからなんですよ

だから努力しなければならない、

辛さ苦しさを我慢しなければならないのですよ。

それまでの厳しさを補って余りある結びではないか。

こわが私ならどうか。

そんなことでこの世の荒波をどうして乗り切ることが出来ようか・」

 の使い古した決り台詞。

「29にもなって親がかりでいるのを恥と思わなくちやいかん。 恥を知れ、恥を!」

などと叫んで相談者を挫けさせる。

あるいは相談者はふてくされてますますぐうたら
になってしまう。

藤原先生の回答は、相談者ばかりでなく、この私のためにもなっているのだ。

ご訪問ありがとうございました。