苦しみは、深いレベルの「神秘 617

イメージ 1


参照引用


心を癒やす言葉の花束  アルフォンス・デーケン


苦しみは、深いレベルの「神秘」である
解決できる「問題」ではない
ガブリェルーマルセル


苦しみに、簡単な解答はありません。
その理由は、苦しみという現象が、「問題」ではなく、「神秘」の次元に属しているからです。

ですから、私たちが苦しみを休験するとき、出口のない真っ暗なトンネルの中に迷い込んだような不安や焦燥にかられ、無力感に打ちのめされるのでしょう。

私の恩師、ガブリェルーマルセルは、二十世紀のソクラテスとも言われた偉大なフランスの哲学者でしたが、彼は人間が直面する現実を「問題」と「神秘」の二つの次元で考えました。



「問題」は、客観的にみて、知識や技術で解決することができる問いかけです。
しかし世の中には、コントロールすることも、把握することもできない、深い領域が存在します。
それが「神秘」です。神秘の次元のものを、問題の次元のように客体化しようとすれば、大きな過ちを犯すことになります。



たとえば、医師が患者を診て病気を診断し、薬や手術などの治療法を検討する、
これは患者の病気を「問題」として解決しようとしているわけです。

一方、治る見込みのない患者に対しては、多くの医師が「もう手の施しようがない」と匙を投げます。


これは、患者の生と死を単なる技術的な「問題」の次元でのみとらえてい   
るから、何もできないという答えになってしまうのです。
けれども、たとえ病気を治すという解決ができなくても、残された時問を有意義に過ごす手助けをすることで、患者の苦しみを和らげることもできます。


それが「神秘」の次元で考えるということなのです。

典型的な神秘の次元に属するものとしては、
愛、自由、人間、自然、出会い、存在、誕生、生、死、悪なども挙げられます。
(今の教育は、ほとんどが問題解決のための技術的な教育に偏り、
あらゆる神秘を単なる問題解決の次元で片づけようとする傾向がありますが、
そこに現代社会のの人きな欠陥が隠されているように思えてなりません。

           
マルセルは、神秘に対峙するときは、自分の限界を認めることが大切だと強調していました。
人為を超えた神秘には、「素直な驚き」「謙遜」「畏敬」「開かれた心」を持って向き合うのが望ましい姿勢と言えましょう。


どうしようもない苦しみにさらされたときも、事態をあるがままに受け入れて眺めれば、苦しみに埋没することなく、新たな段階へと踏み出せるのではないでしょうか。


古代キリスト教の教父と言われるアウレリウスーアウグスティヌスは、十九歳のとき、親友を突然病気で亡くしました。
彼は、そのときの苦しみを回願録「告白」で、こう綴っています。

「今や自分にとって、自分自身が大きな謎となってしまった」
ここでいう「謎」とは、あきらかに神秘の次元を指します。
同じ十九歳なのに、親友は死に、自分は生きている。
それまで当然だと思っていた親友との日々の生活が、実は当たり前のことではなかった。

この苦しい体験が、彼にとって、人生の神秘について深く考えるきっかけとなりました。
アウグスティヌスが、西欧の歴史上、もっとも優れた思想家の一人となったのは、この大いなる神秘に真剣に取り組んだからかもしれません。



ご訪問ありがとうございました。