あきらめることは 619

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参照引用


心を癒やす言葉の花束  アルフォンス・デーケン



あきらめることはあきらかにすること
                 アルフォンス・デーケン


「あきらめる」という言柴に、ネガティブなイメージを持つ人は多いでしょう。

しかし、私はむしろ、「あきらかにする」という意味でこの言葉を使っています。


自分の置かれた状熊をあきらかにすることは、決して消極的な後ろ向きの態度ではありません。



悲嘆のプロセスの十番目の段階として「あきらめ」を挙げましたが、これも仕方がないからあきらめるという無力な状態ではないのです。


あの人はもうこの世にいないのだという事実をはっきりと認めて、現実を積極的に受容するということです。



愛する人の喪失を、頭のレベルでは理解できても、受け入れることはなかなか難しいものです。


愛する人がこの世にいないことを、誰しも認めたくありませんね。
しかしながらたとえ時間はかかっても、つらい現実を勇気を持って受け入れていこうとする努力を始めなければ、再生への道は開けません。



私の人生における最初の深い喪失の体験は、八歳のときに経験した、妹・パウラの死です。


妹はわずか四歳で白血病にかかりました。
もう長くないと医師に宣告されたとき、家族みんなで最後の日々を自宅で見守りました。


妹に残されたわずかな時間を、家族のぬくもりの中で、できるだけ楽しく過ごさせたいと思ったのです。


朝も昼も夜も、父と母、兄姉たちが、かわるがわる妹の傍らにいるようにしました。



ベッドに横たわる妹は、まだ本当に幼くて、一生のうちでもっとも愛らしいときでした。
私は子どもなからに、大切な妹を喪う恐ろしさと、自分の無力を感じました。



ただその一方で、。不思議なことに、死をあまり恐いとは感じませんでした。
幼かったこともありますが、敬虔なカトリック信者だった両親が、死への心の準備について、やさしく説明してくれていたからでしょう。


そのおかげで、妹の病気は医師も治すことのできない病気で、
死は避けられないこと、人間はみんないつか死んで神さまの許へ帰ること、そういったことをおぼろげながら認識していったのです。


こどもたちは、未知の領域である死を、つらくてもやむを得ない現実として受けとめ、理解していきました。


妹も幼いながらも、心の準備をしていたのだと思います。いよいよ最期というとき、静かに私たち一人ひとりと握手をしながら挨拶を交わしました。
 「お父さん、さようなら」「お母さん、さようなら」「アルフォンス、さようなら」……。
そして、「また天国で会いましょう」と小さいけれどもはっきりした声で再会を約束し、しばらくして息を引き収りました。


妹は看護されるだけの受け身の存在ではなく、「死」というドラマの主人公でした。
私はこのときの看取りで、死を受容することは、運命に押し流されて投げやりになるのでも、ただ死を待つのでもなく、事実を積極的に受け入れて、いただいた命を最期まで大切に生ききることだと学びました。


そして、天国に対する強い希望の力を感じたのです。
長じた私は、ライフワークとして「死生学」の研究を選ぶことになるわけですが、その出発点となったのは、間違いなく四歳の妹の死だったと思っています。



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