語るべきこと、語ってはならぬことが、640
参照引用
三浦綾子366のことば 森下辰衛
生きるということは、私は悲しみや苦しみに耐える
ことであると同時に、平凡な日常を切り捨てずに、
深く大切に生きることであるとも思う。
退屈なことのくり返しに耐えるというのは、実は大きな発見へ
の一つの道だと思う。
(『この痛をも賜とレて』)
どうか先ず、自分自身を謙虚に見つめ、心を豊かに育ててください。
すると、語るべきこと、語ってはならぬことが、おのずとわかってまいります。たくさん語らなくともよいのです。
わからないことは語らなくてよいのです
『藍色の便箋,』
むなしいものをむなしいと感ずることに、恐れるこ
とはない。
恐るべきは、むなしいものに喜びや生き甲斐を感じて、そこに浸ることである。
『光あるうちに』
「わがまま」というのは、身近なものの間にほど現
れる現象である。
他人同士だと、相手の話をよく聞こうとする姿勢があり、相手の身になって、相手を傷つけないようにと心を配るが、
親子や、きょうだい、夫婦などには、つい「わがまま」が出てしまう。 (「あさっての風」)
(罪の意識のないのが、最大の罪ではないだろうか)
(『道ありき』)
愛するというのは、愛する者を、長い生涯の間に襲うかも知れない荒波を乗り超えさせ、待っているかも知れぬ艱難を克服する力を、
不断に養ってやるということではないだろうか。
『ドナカマドの街から』)
顔に、墨のついたまま外を歩くのは、なるほど恥ずかしいことかもしれない。しかしわたしたちは、心に墨がついたまま、平気で歩きまわっている。 いったいどちらが恥ずかしいことなのだろう。
(あさっての風)
わたしたちは往々にして、その尊いエネルギーを、何に注ぐべきかを知らずに動きまわることがある。
情熱が空転することがある。・……自分の生きる目的がわかっていると、このひたすらな情熱が、何に注がれるべきかを知ることができるのだ。
情熱が生かされるには、正しい目的が分かるということが先決になる。
『孤独のとなり』
終わったと思う時点から、始まるということが人生にはある。 自我の構図
何十億の人に、かけがえのない存在だと言ってもらわなくてもいいのだ。それはたった一人からでいい。
「あなたは、わたしにとって、なくてはならない存在なのだ亅と言われたら、もうそれだけで喜んで生きていけるのではないだろうか。
三浦綾子文学アルバム
与えられたものを感謝して受けるのも愛である、
と聞いたことがあるが、感謝して人に捧げつづけることは、
更に大きな愛であろう。
自分の人生を、与え尽くす人生にできたら、どんなにうれしいだろう
( 北国日記 )
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