目に見える人間の恩をすらなかなか感ずる 644
「言いにくいことを言ってくれる人を、ありがたく思わねばいけないよ」と母はよく言っていたが、
……人間幾つになっても、甘い言葉には弱いものだ。
(『明日のあなたへ』)
挨拶とは愛がなければできない
孤独のとなり
わたしたちは、目に見える人間の恩をすらなかなか感ずることができない。 まして目に見えぬ神の恩を知るということは何とむずかしいことであろう。
『生きること、思うこと。』
「誰も自分の人生の最後を知るものはありません。ただ今生きているこの人生を、より真実に生きることしか、わたしたちのなすべきことはないと思います」 「銃口」
人間の生活って、感覚的なものだけを満たそうとしたら、結局、いつまでたっても、満足することはできないわよ。刺激は刺激を求めるのよ」
『この土の器をも』
人間というものは、毎日試されて生きているようなものですね。先生はそうお思いになりませんか。さまざまな問題にぶっかって、思いもかけない自分の姿を見なければならないというのが、私にとっては人生のような気がします。 『雪のアルバム』
何百億、何千億のお金を積んだとて、死んだ人は帰らない。つまり私たちは、金では買えぬ尊い命を与えられて日々生きている。
しかし漫然として、何をなすこともなく、我がまま勝手に生きているとした
ら、その何千億をもってしても買うことの出来ない尊い命を、毎日無駄に捨てていることになる。
藍色の便箋
人にしてあげたよいことは、自分から見れば、それは大変よいことであり、人からしてもらった親切や、心づかいは、してもらったほうからいえば
「それほどのことでもない」か「当然のこと」なのです。
小さな郵便車
信用を失った者は、死んだも同然だ」「一旦信用を失ったら、それを取り返すのに、倍の苦労では足らないのですよ。百倍もの真を見せなければ、元の信用は戻りません。
嵐吹く時も
生きているということは、喜びよりも、苦しみの多いものなのだ。それにもかかわらず、生きていたいということは、一体どういうことなのか。
喪失
本心に立ち返るとは何か。それはわが家を思い出すことである。
わが父を思い出すことである。
自分を最も愛してくれる者を思い出すことである。
そして、思い出して帰ろうとすることである。
新約聖書入門
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