ひっそりと、しかし精一杯に咲いている花 645
わたしは、谷間や山かげで、ひっそりと、しかし精一杯に咲いている花を見る度に、言い難い思いになる。
旅人の通ることも稀な山かげに、人目に触れることはなくとも、その命の限り無心に咲いている花は、何と尊いことかと思う。
(「旭川だより」)
大きな失敗を犯した時は、誰が責めなくても、本人自身がいても立ってもいられぬほどに、自己を責めているものだ。
もう二度とこんなことはするまいと、心から悔いているものだ。
その上、人が責めるのは、これこそ苛酷というものだ。
生きる道さえ閉ざしかねないことになる。
が、小さいミスは、本人がそれほど呵責を感じていない。
しかし、その小さなミスの繰り返しは、その人間に一つの傾向性をもたらす。
そうなってからでは遅いのだ。 、小さなミスは、気づかせてやらなければ、本人が気づかない。
『私の赤い手帖から』
待つということは、明日を信ずることであり、明日に望みをもって生きることでもあるといった。 (果て遠き丘)
深い心の底から出る愛の言葉、あたたかい言葉、それはたとえば「おやすみなさい」の一語であっても、その言葉があたたかければ、そのあたたかさに全身が解きほぐされていくような安らぎを与えられる。
(小さな一歩から)
「いまのあなたの生き方は、それでよいのか」と問われたとしたら、何と答えることができるだろうっ
(『生きること、思うこと』)
学校は愛を教える所だと思ってます。
先生が愛を持って自分を見てくれている、と思うと、
この人のためにがんばろうという気になる。
子供だけじゃなくて、人間ってそういうもんじゃないですが?
(三浦綾子対話集2)
[理屈で勝ったからといって、人間と人間の勝負で勝ったとは言えん」 (『生きること思うこと』)
「どんな人間も、絶対駄目な人間という者はいない。
年が幾つになっても、立ち直る機会はあるものだ。
反対に、どんな立派な人間でも、これでもう大丈夫だという人間はない。たとえ、七十、八十まで無事に生きてきたとしても、人を殺すことだってある」
(『藍色の便箋』)
孤独を埋めるもの、それが何であるかを、今から探し求めて行ってください。
孤独の影が深い人こそ人生を深く生きているといえることもあるのです。
(新しき鍵)
人生は選択なのだ。進学、就職、結婚等々、次々に重大な選択を迫られる。
その時、私たちの選択の基準が、みんなに笑われるとか、叱られるからとか、流行だからというようなことに置かれるとするならば、自分自身の人生を放棄することにさえなる。
(風はいずこより)
小さい時から、自分でがまんをすることを知っていたら、その人間は、待つことを知る人間になると思うの。
根って、若い時に早く張ったほうがいいんですってね。
根が張っていると、ぐんぐん養分を吸い上げる。
でも根がしょぼしょぼしか張っていないと、すぐ枯れてしまう。
対談 愛に遠くあれど
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