自分のわがままな感情を自ら叩きふせて、646

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参照引用


三浦綾子366のことば  森下辰衛


「おれはな………、あのまま泥流の中でおれが死んだ
としても、馬鹿臭かったとは思わんぞ。 もう一度生
まれ変わったとしても、おれはやっぱりまじめに生
きるつもりだぞ」          
                        『泥流地帯』


人間は自分中心に考えるようにできていて、いつの
間にか自分のあり方が標準になってしまっている。
                        (ナナカマドの街から)


すなおとは、人の言葉をうのみにして、何でもバイ
バイと聞くことではない。すなおとは、真理に従順
であるということである。
真理に従順になるために
は、自分のわがままな感情を自ら叩きふせて、真理
に従おうと意志することである………。
                           (『孤独のとなり、』)



「死んだ者は沈黙するより仕方がない。どんな思い
で沈黙しているか、わかってやるのが生きている者
の義務だ」             
                           (『銃口』)


人間の理屈などというのは、まことに自分中心で、
自分に都合のいいようにつけたへ理屈が多いのでは
ないか。
だから、合理的な人間だと思っている人の
理屈には、自分だけに通用する理屈というのが多い
のではないかと、わたしは思う。
                          (『生きること思うこと』)


一流の人物は弁解をしない」という言葉を近頃聞
いた。
人間は誰しも自己弁護をしたがる。 自分を正
しいとしたい。
そして相手を責めることに急になり
がちである。 
このために長い間かかって築いた友情
や信用を失ってしまう。                                   (『遣うれた言葉』)


人間は、望みを全く絶たれたという状態のなかでこ
そ、その真価がわかるのではないか。
                      (『旧約聖書入門』)


病気は、ちょっと考えると、個人的な問題のように
思われる。
が、そうではないのだと、彼女は私に教
えてくれたのだ。
病気になった者は、その責任とし
て、できる限りの戦いをしなければならない。
むろ
んそれは大変なことだが、「自分一人の病気ぐらい」
とか、「自分一人ぐらい死んだって」とか、自己中
心に陥ってはならないことを、彼女は私に、身をも
って教えてくれたような気がする。
                         『私の赤い手帖から』


どんなに大きな体験をしても、心の深い所で真実に
受け止めなければ、その体験は自分を何ら成長させ
ない。         
                         『北国日記』


私たちは、「好き」と「愛」とを混同することがあ
る。
「好き」というのは、むき出しの感情であるこ
とが多く、「愛」には、愛し抜くという意志と共に
その自分の愛を正しく見分ける理性が含まれている
筈である。  
                        『私にとって書くということ』


人間、順調に事が運ばれている時のほうが、
思うよ
うにならぬ時よりも、危険なのですな。
思うように
いかぬ時は、謙遜であり得るが、意のままになる時
は、自分自身の才や努力を誇って、傲慢になる。
                           (『夕あり朝あり』)

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