自分で勝手に自分の未来を決めて 649

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参照引用



三浦綾子366のことば  森下辰衛



真の愛というものは、愛するにふさわしいものを愛するのではなく、だれからもかえりみられない価値なきものを愛することなのではないか。
                     『愛すること信ずること』


どんなに忙しくても、一日に十分の時間を誰かのために割くことはできないかと思ったのだ。電話でもいい、葉書でもいい、その人のために祈るだけでもいい。要は、小さな一歩から始め得るのではなかろうか……。                             (小さな一歩から、)


「愛って、その人の幸福をねがうことよ」
                     (井戸)


「神さま、あなたのなさったことは、みなよいことでした」わたしはそう祈り自分にも言い聞かせて神に不平不満を言うことをやめた。
                  (道ありき)


わたしたちは、自分の金を自分のために使う自由もあるが、人のために使う自由もある。人が困っているのを、見て見ないふりをする自由もあるが、積極的に助ける自由もある。人の過失を許さない自由もあるが、許すという自由もある。一日を怠惰に過ごす自由もあるが、勤勉に過ごす自由もある、妻子のある人を恋する自由もあるが、恋しない自由もある。
夫を裏切る自由もあるが、裏切らない自由もある。
                 (光あるうちに)


長野政雄 塩狩峠 主人公モデル 殉職の日1909年2月28日
                    苦楽生死、均しく感謝。


神はわたしたちの求めるものよりも、
更にすばらしいものを用意しておられる時は、
祈りを鬨いてくださらないこともある
                 榎本保郎牧師の言葉


なるほどとうなる。わたしたちは病気よりも健康のほうがよいと思う。
貧しさよりも金持ちになることがよいと思う。
だが、神は、人間には病気の時があってよいと思い、
貧しい時があってよいと見られるのかも知れない。
そしてそのような神の計らいが、わたしたち人間にとって最もすばらしいことになるのかも知れない。               
                          (北国日記)



生きようとする時、必ず道はひらけるのだ 
                       (孤独のとなり) 
 

自分でえらんだ道を歩くことは、快いことだよ。
だが、思いもかけない道を、立派に歩むことは、さらにすばらしいことかも知れないよ
                        石の森


愛を受けとめるということ、これは、愛し返せばよい、何かをして恩を返
せばよい、というようなも安手なものではない。 
受けとめるということは、その人の生きたように、自分もまたその生き方を受け継ぐことである。
                   (天の梯子)


何かの目に遭うと、人は簡単に人を見限り、自分を見限ります。
「どうせ私なんか、いてもいなくともいいんだよ」とか、
「どうせ俺は落ちこぼれたよ」とか、[あいつは、もう、駄目な男だ」
とか、「あの子は救いようがない」とか。
しかし、神様は決してそうはおっしゃらない。
誰一人、どうでもいいという人間はいないのです。
                      (愛すること生きること)


神様がつくったこの世ですからね 神様はどんな人にも使命を与えてくださっていると思います。
いま生きることに希望を失った人たちがもしいるとすれば、私はその人たちにいいたいですね 。
「自分で勝手に自分の未来を決めてしまわないでください。
こんな未来しか待っていないなどと、わかったような顔をしないてください。
神の書かれるシナリオとあなたの書かれるシナリオとは違うのです。
                       (人は人によって輝く)


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