虚無は、この世のすべて 650

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参照引用



三浦綾子366のことば  森下辰衛


わたしは自分が、何をこの人生において望んでいるか、もっときびしく自分に問いなおしてみる必要があると思った。
もし自分の望んでいることが低ければ、人への親切も、低い次元でしか、なすことができない。           
                  (『生きること思うこと』)


花を見てもそうですし、食べ物を見てもそうです。海には魚がいて、貝がいて、イカがいます。
陸を見れば米も麦も豆も、いろいろな野菜も果物も、まずたいていのものはおいしくて、美しくて、においがよくて、人間を喜ばすことができるものです。 
どんなに神様の善意にあふれているんだろうと思うんです。                              『三浦綾子対話集2』


「もっと自分を大切にしなさい。われを忘れるということは、ある時は美しいが、しかし、またみにくいことでもあるのだよ」 
                        (『石の森』)


人間はただ精一杯に生きていればよいというものではない。
いかなる目標に向かって、精一杯に生きるかを知らねばならないのだ。
                        (『石ころのうた』)


人間生まれて来て大事なことは、出世することではありませんぞ。
只真理に忠実に生きることであります」 
                       『ちいろば先生物語』



虚無は、この世のすべて……を否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、
そこまで追いつめられた時に.何かが開けるということを、伝道の書にわたしは感じた。……
「汝の若き日に、汝の造り主をおぼえよ」の一言は、
それ故にひどくわたしの心を打った。
          ※伝道の書旧約聖書に収められている書物の1つ
                           (『道ありき』)


罪の芽というものは、初めは誰も気づかぬほどに小さなものなのだ。
                        (ナナカマドの街から)


「出せば出すほど力は出てくる。できないのではない。やらないのだ」                             (石ころのうた)


「自分の中ばかり見つめるのはおやめなさい。その目を周囲の人に向けなさい、あなたの助けを欲しいと思っている人が、必ずいる筈です」と言われた。この言葉に私は、はっと目覚めたことを覚えている。                         『私の赤い手帖から』



「いかに生きるか」は、「いかに死ぬか」ということであり、それは車の両輪だ。     
                        『北国日記』


土の上にまいた水が直ちに乾いてしまったとしても、その水が土地を潤したことだけはまちがいなく事実である。
毎日毎日読む本が、何の役にも立たないようでも。知らぬ間に地下水のように心の底を潤すものになるのである。
                       (我がが青春に出会った本)


でも私ね、一番大事なのは、人間は人間なんだ、ということに徹することだと思うんです。
だってね、福沢諭吉じゃないけど、人間は人間の上に人間を作ったためにひどい目に遭って、人間の下に人間を作ったためにひどい目に遭って、本当に愚かなことをやっているわけですから。
                       (ごめんなさいといえる)



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