学校は愛を教える所だと思ってます 652
「馬鹿にされたっていいよ。馬鹿にするほうがまちがってるんだから」 『泥流地帯』
もしイエスがいかに偉大な人物であっても、十字架上に人類の罪を負わなかったとすれば、世界の歴史を変えるような存在にはならなかったであろう。
されていたように、三日目に甦ったという、復活の事実なのである。 (『新約聖書入門』)
人生とは他との戦いではなく、自分自身のなかにうごめく、わがまま、怠惰、勝ち気、冷淡、さまざまのよからぬ欲望などとの戦いであると知ったとき、わたしたちの生活内容はたしかに変わる。
(『愛すること信ずること』)
〈八十九歳には八十九歳の誘惑がある〉ということは、二歳には二歳の、五歳には五歳の誘惑があるということであり、十七歳には十七歳の、二十歳には二十歳の、というふうに、人生は常時誘惑に満ちているということである。 『私の赤い手帖から』
わたしたち人間は、日々歩いている。何かに向かって日々歩きつづけている。
が、その歩みは果たしてひたすらな歩みか、否か。わたしたちは、自分のその歩みをとめて、自分が何に向かって歩んでいるのか、どのような姿勢で生きているのかを、ある時は、静かに立ちどまって考えてみなければならない。
(あさっての風)
学校は愛を教える所だと思ってます。先生が愛を持って自分を見てくれている、と思うと、この人のためにがんばろうという気になる。
子供だけじゃなくて、人間ってそういうもんじゃないですか?
(『三浦綾子対話集2』)
「理屈で勝ったからといって、人間と人間の勝負で勝ったとは言えん」 (『生きること思うこと)
「どんな人間も、絶対駄目な人間という者はいない。
年が幾つになっても、立ち直る機会はあるものだ。
反対に、どんな立派な人間でも、これでもう大丈夫だという人間はない。たとえ、七十、八十まで無事に生きてきたとしても、人を殺すことだってある」
『藍色の便箋』
孤独を埋めるもの、それが何であるかを、今から探し求めて行ってください。
孤独の影が深い人こそ、人生を深く生きているといえることもあるのです。
(『新しき鍵』)
人生は選択なのだ。進学、就職、結婚等々、次々に重大な選択を迫られる。
その時、私たちの選択の基凖が、みんなに笑われるとか、叱られるからとか、流行だからというようなことに置かれるとするならば、自分自身の人生を放棄することにさえなる。
(『風はいずこより』)
小さい時から、自分でがまんをすることを知っていたら、その人間は、待つことを知る人間になると思うの。
根って。若い時に早く張ったほうがいいんですってね。
根が張っていると、ぐんぐん養分を吸い上げる。
でも根がしょぼしょぼしか張っていないと、すぐ枯れてしまう。 『対談 愛に遠くあれど』
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