一体何が見えるというのだろう。653

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雑感


今日も
何とか

思いこまず

淡々に



参照引用

三浦綾子366のことば   森下辰衛


生きようとする時、必ず道はひらけるのだ。    
               (『孤独のとなり』)



「自分でえらんだ道を歩くことは、快いことだよ。
だが、思いもかけない道を、立派に歩むことは、さらにすばらしいことかも知れないよ」
                     (『石の森』)



愛を受けとめるということ、恩を受けとめるということ、これは、愛し返せばよい、何かをして恩を返せばよい、というような安手なものではない。受けとめるということは、その人の生きたように、自分もまたその生き方を受けつぐことである。
                   (『天の梯子』)


何かの目に遭うと、人は簡単に人を見限り、自分を見限ります。「どうせ私なんか、いてもいなくてもいいんだよ亅とか、「どうせ俺は落ちこぼれだよ」とか、「あいつは、もう駄目な男だ」とか、「あの子は救いようがない」とか。 
しかし、神様は決してそうはおっしゃらない。
誰一人、どうでもいいという人間はいないのです。
                        (『愛すること生きること』)


神様がつくったこの世ですからね。神様はどんな人にも使命を与えてくださっていると思います。
いま生きることに希望を失った人たちがもしいるとすれば、私はその人たちにいいたいですね。
「自分で勝手に自分の未来を決めてしまわないでください。 こんな未来しか待っていないなどと、わかったような顔をしないでください。
神の書かれるシナリオとあなたの書かれるシナリオとは違うのです」
                   『人は人によって輝く』)



私たちは、自分の目はよく見えると思っている。だが私たちは、一体何が見えるというのだろう。
私たちは自分の欠陥がよく見えるであろうか。
見えるのは他人の欠陥だけではないだろうか。
                             (『新約聖書入門』)


「人間には、生きることをやめる権利はない」
                       (『帰りこぬ風』)


「な、北森上等兵、命って厳粛なもんだろ? 
様々な人生があって、様々な汗や涙があって、ようやくわれわれがいるというのに、自分一人の命を軽んじて自決などしたらどうなるか。今後何万年もつづくであろうたくさんの人々の人生をも奪うことになる。
生まれたいと熱望している君の子孫の願いを断ち切ることにもなる」                                  (『銃口』)



「ねえ、旦那。しかし、わっしは、毎年思うんだが、この地球上から人間が一人もいなくなっても、木はちっとも困らねえ。
だがねえ、木が一本もなくなりゃーあ、こりゃあ人間は困る。
こんなに伐ってもいいんかなあ」
                         (『天北原野』)



ある程度自信を持つことは、生きる上において大切かも知れません。
でも、自信過剰の人間は明らかに傲慢です。
「自分は正しい」「自分は秀才だ」「自分は美人だ」と思っている人ほどみにくい存在はありません。 
                     (『藍色の便箋』)


「口紅が濃過ぎるよ」という言葉ひとつでも、本当はなかなか言い難いものだ。言い難い思いをしてまで言ってくれるのは、愛があるからだと思う。しかし私たちは、人の言葉を受けとめることが実に下手だ。      ‘                        (『風はいずこより』)


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