用のない人間を お造りになるほど 700

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雑感


確かに

用のない人間を

お造りになるほど



参照引用    森下辰衛


三浦綾子366のことば





「用のない人間をお造りになるほど、
神様は愚かではあらしまへん」 
            ちいろば先生物語




ほめられて増長する人間よりも、
一層努力する人間が多いものだ。
相手を伸ばしたいと思ったら、
ほめ言葉を惜しんではならない。
親や教育者、上司は無論のこと、
夫婦においても同様、
一日に一度は相手をほめようではないか。
                 太陽はいつも雲の上に



「残されたぼくたちが意味深く受けとめて生きていく時に、
ほんとうの意味で、
死んだ人の命が、 
このぼくたちの中で、生きているといえるのではないだろうか」                         塩狩峠



私たちは
「愛を追い求める」ということを、
「愛されることを求める」ことであると、
まちがってはならない。
「愛を追い求める」とは、
人を愛する自分でありたいと願うことであり、
祈り求めることである。               
                『明日のあなたへ』




「人間には……二通」」しかないんだとよ」
………親切な人間と、不親切な人間、
人に何かをしてやりたい人間と、
何かをしてもらいたい人間だとよ」
                  泥流地帯



善意ですら、人の迷惑である。
善意は宝だと思っているその宝が、
他の人には迷惑であると思う時、
わたしは、人間がまことに不完全な存在であることを、
つくづく感じさせられる。
つまり善意も一つのエゴなのだ。 
この不完全を完全にしてくださるものが、キリストによる愛なのだろう。
              生きること、思うこと



「傷痍なき人生は恥」
この言葉を、わたしは療養中に人に聞いた。
・‥‥‥
もし人が生を享けて、
何の傷もその身に受けたことがないとしたら、
それは果たして名誉なことであろうか。
……裏切られる人間は常に真実な方である。
……恋愛も真実こめての恋愛ならば、
もし、
それが破れれば、傷もまた大きく且つ深い。
            太陽はいつも雲の上に



すべての人がいつかは死ぬのだから、
本来ならばすべての人はもっと死について考えていいのだ。
誰もが、今日が命日かも知れないのだ。
只、
(いつかは死ぬさ)と思っているだけだ。
           北国日記





忍耐というのは、
力のない者や意気地なしにはできないことでねえ」 
              天北原野



「実りのある苦労なら、誰でもするさ。
しかし、全く何の見返りもないと知って、
苦労の多い道を歩いてみるのも、
俺たち若い者のひとつの生き方ではないのか。
自分の人生に、そんな三年間があったって、いいじゃないかj
               続泥流地帯



現代の私たちは、思った以上に、
「しかし仕方がなかった」
と言い過ぎる。
私たちは、いかなる苦境に遭遇しても、
簡単に「仕方がない」と諦めてはならないのではないか。                          (『明日をうたう』)



病弱な私が、
この齢まで生き得るとは思わなかっ
た。
いや、生き得たのではなく、
生かされて来たの
だ。 
あと何年の命ありや、只主を証しせんのみ。
                       難病日記



自分だけが弱いのではない。
自分だけが苦しいので
はない。
自分だけがむなしいのではない。
自分だけ
が惨めなのではない。
自分だけが死を思っているの
ではない。
誰しもが、さまざまな苦しさ、むなしさ
に陥らざるを得ないのだ。
そのことを、腹の底から
よくみとめた時、
わたしたちは、
虚無の隣に神が
いる」ことを、知り得るのではないだろうか。
                  光あるうちに



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