その命の限り無心に咲いている花は、711

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三浦綾子366のことば   森下辰衛




わたしは、谷間や山かげで、
ひっそりと、
しかし精一杯に咲いている花を見る度に、
言い難い思いになる。
旅人の通ることも稀な山かげに、
人目に触れることはなくとも、
その命の限り無心に咲いている花は、
何と尊いことかと思う。
               (「旭川だより」)




大きな失敗を犯した時は、
誰が責めなくても、
本人自身がいても立ってもいられぬほどに、
自己を責めているものだ。
もう二度とこんなことはするまいと、
心から悔いているものだ。
その上、人が責めるのは、
これこそ苛酷というものだ。
生きる道さえ閉ざしかねないことになる。
が、
小さいミスは、本人がそれほど呵責を感じていない。
しかし、その小さなミスの繰り返しは、
その人間に一つの傾向性をもたらす。
そうなってからでは遅いのだ。
小さなミスは、
気づかせてやらなければ。本人が気づかない。
                       私の赤い手帖から




待つということは、
明日を信ずることであり、
明日に望みをもって生きることでもあるといった。
                  果て遠き丘




深い心の底から出る愛の言葉、あたたかい言葉、
れはたとえば「おやすみなさい」の一語であっても、
その言葉があたたかければ、
そのあたたかさに全身が解きほぐされていくような安らぎを与えられる。
                  (『小さな一歩から』)




「いまのあなたの生き方は、それでよいのか」
と問われたとしたら、
何と答えることができるだろう。
               生きること思うこと



「おれはな………、
あのまま泥流の中でおれが死んだとしても、
馬鹿臭かったとは思わんぞ。
もう一度生まれ変わったとしても、
おれはやっばりまじめに生きるつもりだぞ」 
               『泥流地帯』




人間は自分中心に考えるようにできていて、
いつの間にか自分のあり方が標準になってしまっている。
              (『ナナカマドの街から』)



すなおとは、
人の言葉をうのみにして、
何でもハイハイと聞くことではない。
すなおとは、
真理に従順であるということである。
真理に従順になるためには、
自分のわがままな感情を自ら叩きふせて、
真理に従おうと意志することである……。
                 (『孤独のとなり』)



「死んだ者は沈黙するより仕方がない。 
どんな思いで沈黙しているか、
わかってやるのが生きている者の義務だ」
                銃口




人間の理屈などというのは、
まことに自分中心で、
自分に都合のいいようにつけたへ理屈が多いのではないか。
だから、
合理的な人間だと思っている人の理屈には、
自分だけに通用する理屈というのが多いのではないかと、
わたしは思う。
              生きること思うこと



「一流の人物は弁解をしない」
という言葉を近頃聞いた。
人間は誰しも自己弁護をしたがる。
自分を正しいとしたい。
そして相手を責めることに急になりがちである。
このために長い間かかって築いた友情や信用を失ってしまう。                            遺された言葉



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