ああそう、疲れたの 776

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雑感


「私」もより

相手の言ったことを繰り返す。



参照引用



目に見えないけれど大切なもの    渡辺和子


共感


人間関係を和やかにするのに、
「の」の字の哲学というのがあります。

例えば、夫が会社から戻ってきて、「ああ今日は疲れた」といった時に、知らん顔して、その言葉を聞き流したり、
「私だって、一日結構忙しかったのよ」
と自己主張したのでは、二人の間はうまくゆきません。

その時に、「ああそう、疲れたの」と、
相手の気持ちをそのまま受け入れてあげることが大切なのです。

友人が、「私、海外旅行に行ってきたの」と言えば、
「あら、私もよ」と相手の出鼻をくじいたり、
「どこへ、誰と」と尋ねたりする前に、
そう、
「旅行してきたの」と、

おうむ返しに言葉をそのまま繰り返して、
相手と共感することが、
相手への真の優しさとなります。

私たちはとかく自分本位になりがちで、共感する前に、自己主張をしがちで
す。相手が感じていることを、そのまま受け止めてあげる前に[私だって]と
か、「私なら」と比較してしまいがちになります。

自分が感じたことのない気持ちには共感できないので、
そのためには、いろいろと自分も経験することが大切になってきます。

ただ、ここで気をつけないといけないのは、
同じような経験でも、
他人のそれに対する感情と、自分のそれとは
同一ではあり得ないという事実です。

子どもをなくしたことのない人より、
その経験をした人は、
今悲しんでいる人に共感を抱き易いとは思いますが、
一人ひとりの経験は独特なものであって、
して同じではありません。

その事実に対しての、
「全く同じ経験はあり得ない」という醒めた目と、
[しかしながら、自分の経験から少しでもわかってあげたい]と
いう温かい心が必要なのです。


「慰めてくれなくてもいい。ただ、傍にいてください」といわれたことがあります。
ただ「悲しいの」「苦しいの」と
受けとめてくれる人、イエス.キリストは、そういう人でした。

「の」の字の哲学の元祖だったのです。




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